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フロアコーティングの情報掲載

子どもが育つ過程でも、「ここが私の居場所」と安心できて、のびのびした子どもになってくれるかもしれない。 家は、あなたが投資したお金以上のだいじなものを、かならずあなたに与えてくれる。
建てたあと、住みはじめたあとにこそ、お金のかけどころを考えてみてほしい。 モデルルームやモデルハウスに行くと、すばらしくコーディネイトされていることに感心する。
一分の隙もなくコーディネイトされているので、呆然とするほど。 でも、なにかそこには嘘くささ、現実味のなさが感じられないだろうか。

インテリアショップのショールームにも、高級だけど落ち着かない類のホテルにも、同じ気配がある。 「ここで生活してもいいよ」と言われても、私はお断りだ。
そのいごこちの悪さはどこからくるのだろうか。 それは、トータルコーディネイトのせいではないか、と私はにらんでいる。
イギリスのアンティークを扱うあるインテリアショップには、おもしろいコーナーがある。 同じアンティークといってもいろいろな様式があって、様式ごとに陳列してあるものなのだけれど、そのコーナーにはばらばらな様式のものを置いてあるのだ。
ばらばらな様式のものを集めて、居間のような場にしつらえてある。 お店に来る客は、このコーナーはなぜばらばらな様式が置いてあるのが、不思議に思うらしい。
それで、お店の人に「ここは、なぜこうなっているんですか」と訊く人がいる。 そんなとき、お店の人は、「インテリアは、すべて揃いの家具にすると、心の負担になるでしょう?」と答えるのである。
揃いの椅子がひとつ壊れたら、同じものを買い足さなければならない。 もし、もう製造していなかったら、困ってしまう。
あまりに揃えすぎると、揃っているということそのものが負担になる、というわけ。 このことは、揃いのティーカップについて考えると、よくわかる。

六客揃いだから、お客さま用に大事にしておかなきゃ。 ふだんに使って割れたら困る。
そう考えて、お気に入りのカップを年に一度くらいしか使わない人が多いのではないだろうか。 あるいは、着物とお揃いの羽織と草履を買ったものの、揃っていてもったいないから、ふだんには着ない、という人も少なくないだろう。
揃いであることが負担になって、物を楽しみながら使えなくなってしまうのだ。 でも、「せっかく買うなら、揃いで」と、つい考えてしまうくせも、私たちにはある。
だから、買ったものの使えない、というジレンマに陥る。 この「揃い」のジレンマ、日本人に特徴的なようだ。
お店の人の話では、イギリスではばらばらに買い揃えていくのがふつうなので、このコーナーは格別不思議なものではない。 不思議に思うのは、日本人らしい感覚だ、ということであった。
「揃い」の隙のなさを「ハレ」のものとしてたいせつに思う日本人の感性は、こまやかですてきだと思う。 ただ、日常の暮らしは、きばった「ハレ」の場ではなく、くつろげてここちのよい「ケ」の場であったほうがいい。
インテリアは、心の負担になるようなトータルコーディネイトではなく、自分にとってここちのよいものを、時間をかけて集めてつくりあげていくように考えてみてはどうだろうか。 選ぶ基準は、「私か、好き」でいい。
この机の、このかどの丸みが好きだ。 このテーブルの、この彫刻が好きだ。

この椅子の、腰かけたときのやわらかさが好きだ。 この照明器具の、光の具合が好きだ。
そんな、すなおな「好き」を基準に選んでいくことで、一見ばらばらでも、その底流にあなたという軸が一本とおった均衡が保たれていく。 「私らしい家」は、トークルコーディネイトから生まれるのではなく、時間と手間をかけて集めた「私か、好き」な家具から生まれるのである。
自分がなにが「好き」なのかわからない人は、いま、現に使っているもののなかでお気に入りのものを眺めてみよう。 そのどこが好きなのか、意識してみよう。
人によっては、「嫌」を基準にしたほうがわかりやすいかもしれない。 この机は、この脚のかたちが嫌だ。
このカーテンは、柄が嫌だ。 「嫌」なところがさしあたってないならば、それがあなたにとって「好き」ということなのかもしれない。
余談だけれど、完璧さには魔が宿る、という感覚が日本にはある。 有名なのは、日光東照宮の陽明門にある逆柱で、門を支える十二本の柱のうち、一本だけ模様がさかさまに刻まれている。
つまり、あまりにも陽明門が完璧すぎる、結構にすぎることをおそれて、魔がよらぬように完璧さをわざと欠こうとしたわけだ。 完璧さは、人間の手に余る。
そんな感性があるのではないだろうか。 ちょっとバランスを欠いたくらいが、ちょうどいい。

ほどほどに調和が取れているくらいが、いごこちがいい。 そんな感覚の表れではないだろうか。
わが家は築三十年以上の古い家なので、外見もそれなりに古くなっている。 それを見て、入れ替わり立ち替わり住宅リフォーム会社の営業マンがやってくる。
「北側のペンキが剥げてきていますよ。 いや、ちょっととおりかかったんだけど気になって。
あのままほうっておくと、家がだめになりますよ」「近所でシロアリが発生したので駆除に来たんですけどね。 ついでに近所のお宅も見てまわっているんですよ。
気がつかないでいると、根太がやられますよ」。 まあ、よく見ているなと感心するくらい、いろいろ指摘してくれる。
たいていのことなら撃退するわが家でも、床下換気扇の定期点検に来た業者に、「カビや害虫よりも、もっと大きな問題があったんですよ」と言われたときは、少々考えこんでしまった。 具体的に書くのは避けるけれど、要するに、家の土台にあたる根太の耐震構造が甘い、というのである。
「すでに狂いがきていますし、これで地震がくると危ないですよ」、そして、その業者が施工する強化工事を紹介するのである。 その家で暮らしていても「弱い家だ」という感触はなかったので、とりあえずその場はおひきとり願うことにした。
しばらくたった頃、わが家のリフォームをたびたびお願いしている大工さんに会ったので、訊いてみることにした。 すると、三十年以上、ちゃんと建っているんだから、大丈夫ですよ。
家を見れば、わかります」と即座に太鼓判を押してくれたのである。 長年、棟梁をやってきた経験の豊かな大工さんの、あっさりとした返事を聞いて、私たちは「ああ、やっぱり私たちの感覚は間違っていなかったんだ」と安心もし、心強い思いもしたのであった。
さて、そのあと、大工さんがなにげなく言った言葉が、私の心に残っている。 「前は、営業なんて必要なかったんだよね。

具合が悪いところがあれば、お客さんが自分で判断して、我々大工に連絡してきたものなんだ。 ところが、いまは、そういう業者が、なにも起きていなくても営業にまわってくるじゃないですか。
お客さんが判断する前に営業が来ちゃうから、わけがわからなくても心配になって修理を頼むことになる」。 まさに、膝を打つ思いである。
かつては、住み手が自分で家の不具合を見つけることができたのだ。 そういう住み手がいるからこそ、大工さんも仕事があったし、きちんとした仕事をすればお客さんにわかってもらえて、やりがいもあったのではないだろうか。
そういえば、御用聞きは、「そろそろビールがないんじゃないですか」とは、ぜったいに訊かない。

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